ポオの「raven(大鴉)」、呟くは‘nevermore’......映画、「酒とバラの日々」。主題歌中、その歌詞中。その「ドア」には‘nevermore’.....「またとない」或いは「二度と、ふたたび」。 深く、あまりにも深遠なる酒世界。夢の世界で遊ぶことも。悪魔の棲む淵で喘ぐことも。ポオのみならず、酒がもしなければ、19世紀の芸術のその多くは、消え失せてしまうのであろう。色褪せることだろう。今の日本社会、酒も飲まない人種が増えている。美しき魂の発動も、その可能性も、知らぬ間に抑制されているのだ。
時期を逸しましたが、巡回していて気付きました。 statesさんが、スレ立てとる・・・・ なんでだろう・・・・・あっ、Shakestirさん、始めまして (核爆)
の作品で、「デス・プルーフ」という作品があって、もう、バーマンならば思わずニヤリ・・というシーンがあります。とくに、シャルトリューズのワンカット。(監督本人が絡む)または、イエガー・マイスターのシーン。(今後、飲むのはちょっとヤメヨウカナァなんて気になる)グラインドハウスのもう一篇の作品には、あんまり酒が出てこなかったような・・。
シェリー。スペインの、南の酒。ワインの一。へレスやサン・ルーカルは、風景を切り取れば、そこはイスラムの町と見紛う。如何にもヨーロッパ的な石の街、マドリッドとはかなり違う。流れる空気も、人口が少ないせいかゆったりしている。変わった酒だ。まるで出来上がる様は醤油のよう。その酵母の膜は、一種異様。驚く。サン・ルーカルにボデガがあってボデガス・イダルゴというところであるが、そこが良いところ。市場も近く、海産物が豊富で、海鮮の揚げ物がめっぽう旨い。それがよく辛口のマンサニージャと合う。「マンサニージャ」と言わなければいけない。「マンサニーリャ」じゃ、通じにくい。 絶品はイソギンチャクだ。天ぷら。小エビもいい。イダルゴのマンサニージャに、「ラ・ヒターナ」というものがある。スッキリとしていて、美味しい。ラベル。丸い縁取りの中に、美女の画。それは、タンバリンに描かせた、愛した女。ジプシーの血の、踊り子。ステイツのカウンターで飲めば、会える。
la gitana
昨今の、この国の指導者には、辟易しているひとも多いことかと思います。過去現在、人について思いめぐらしていろいろ考えますが、やはりこの人でしょう。故人ですが。薩摩治郎八。世界に愛され、世界を股にかける天下の遊び人。銘酒と美女とパルファムを、心より愛し尽くした世界最高峰のゴクツブシ。またはアルジェリアで傭兵となり・・。またとない男。バロン薩摩。・・・まだ彼をご存知でなかったら、調べてみたら良いと思います。
カシオペアの娘、アンドロメダは勇者ペルセウスに助けられる。ペルセウスはダナエの息、黄金の男だ。ゼウスが黄金の雨に変身し、ダナエを懐妊させたこと。ダナエというカクテルを、1990年頃に創作したことがある。グスタフ・クリムトが世紀末に描いたダナエ。頬は薄くれないに燃えている。眠っているのか、悦楽の海を渡っているのか・・見上げれば思いも巡り、秋も深まる午前4時過ぎ。
「目玉のはなし」なんて、昨今流行りの「新訳」が出ていたりするバタイユ。最近の読書は仏文系に一時回帰を果たしている。後述のジッドの「田園交響楽」を読了すれば、また鏡花を読みたい。フランス人の作品には、作中、酒が登場することが多い。(気のせいか・・・いやそうではない)「眼球譚」のほうがしっくりくるというところに衆目の一致するところだと思うのは私だけではない筈。そう、言えば彼の作、「マダム・エドワルダ」もはや宇宙です。アポリネールの「一万一千本の鞭」これも凄絶・・。20世紀へ「一つの橋」を渡した男の描いた、絵巻物。しかし反面、相反的に位置するかのように見えるアンドレ・ジッドの美文にも酔う。山内訳のうつくしさに酔い惑う。「狭き門」
スぺインの監督が撮った映画、「ボルベール」を観る。ペネロペ・クルスが強くしなやかな母を演じていた。作中、カクテルが登場してくる。マルガリータ、モヒート、カイピリーニャ・・レストランのシーン、壁に貼られたポップなお品書きにはカイピリーニャ。フラメンコ。歌。心は酒で艶やいで、歌は心に波を立てる。・・・映画の酒。いろいろなことを想起させる。ルードヴィヒのシャンパングラスはソーサーだった。そのうたかたはショートストローク。連日の酒を物語る。「太陽がいっぱい」のラスト。電話のベルが響く。そしてチェアにかけ、グラスを持つ男。「リプリー」のマティーニ。所作に馬脚を露す。マティーニといえば「M☆A☆S☆H」。ベトナムの子供が、切れるマティーニをガラガラ作る。ファイブダラーズ・シェイクは「パルプフィクション」。酒でも入った、シェイク。蓮っ葉でキッチュな、甘い強さ・・。あぁ、キリもないけれど人生、こんな余分な遊びがなきゃ、上手く生きてゆけない。映画。酒。音楽。車のハンドルだって、遊びがないと即事故だ。
デ・ゼッサント。バーテンダー必読の書と言えなくもない「さかしま」。霊酒、茴香酒、火酒の類・・・。シャルトルウズ・グリーンが長調、ベネディクティン酒は、いわば短調をあらわすそうだ。
ニューヨーク、ザ・ウォルドーフ=アストリアのバー。一度は訪れてみたい。カクテルリストはつとに有名で、記された文言の洗練もさることながら、選抜されたその飲み物は今までの過去これより未来、輝き続け色失わぬ名品ばかり。サー・ハリーズ・バー。手渡されるリスト。そっと、書き落とされたセンテンス。カクテルをシンフォニーに喩えたその諧調は愉悦の極み、楽譜に記す術もない。
ウイスキー。山口瞳氏は「そのまま飲まなきゃ、礼を失する」と宣う。そうかもしれない。いやきっと、そうなんだ。ことにブレンディッドや蒸留所オフィシャルものはそうだろう。元よりカクテルメイク的構成美を旨とし、飲み手にストレイトで味わって貰わんが為に、適当な加水を施しスムースネスの一里塚をボトルに建築しているわけだから・・・。・・・そりゃ、なにやら市場原理のなかで価値を創り出し、色気のある樽をいろいろ使ったり、況や「カスク・ストレングス」などと謳うものはいわゆる「トワイス・アップ」なんてことをやらなきゃ「味わい香りが開かない」なんて、詭弁(失礼!)を弄する必要性などが生ずるわけです。つまり、ひたすら旨いものがその瓶に詰まっているか。やさしみに富んだ人間力が封印されているか。という部分は・・。酒はそのまま。しかし気分で変えるも良し。意味が判っていりゃ、それでいい。手許のグラスは、あなたのものですからね。
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