リープフラウウミルヒと並び、もっともよく知られているドイツワインに、 ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ 「Zeller Schwarze Katz」というものがあります。 黒猫がラベルに描かれ、比較的手頃な価格で並んでいるそれは、 多くの人が最初に飲むモーゼルワインではないでしょうか。 名前の由来は、ワイン商が樽から試飲しようとしたら、 黒猫が樽に飛び乗って毛を逆立てて邪魔をしたとか、 ワインを腐らせようとした悪魔を黒猫が追い払ったとか、 いくつか伝説があるのですが、その名が本来は、 とある醸造所の、猫の額ほどの区画から収穫されたワインに付けられたものだったことは、 あまり知られていない事実。
1880年頃、モーゼルにあるツェル村の、とある醸造所のケラー(ワイン蔵)に、 ワインの試飲をしているワイン商がいました。 彼はベルギーとの国境近くにある町、アーヘンから来たワイン商で、 今年仕入れるワインを選びに来たのです。 19世紀半ばのその当時、ワインは樽ごと買い取られてワイン商が瓶詰めし、 ラベルを貼るのが普通だったそうです。 醸造所の若主人ベネディクト・マインツァーは、ワイン商に自由に試飲させ樽を選ばせていました。 ベネディクトの醸造所はツェルに三つの区画を所有していました。 ブルグライ、ペタースボーン、そしてカペルチェン。 葡萄は区画ごとに醸造され、樽を選ぶことは区画を選ぶことと同じ意味を持っていました。 どの樽をとっても悪くないのですが…、ワイン商はどれか一つに絞らなければなりません。 故に一通り試飲した後、これは、と思った樽から再び試飲し、 その中からさらに気に入ったものを、もう一度試飲して絞り込んでいきました。
ふと中庭にいた黒猫が、いつの間にかケラーに入り込んでいました。 猫は、ベネディクトの足下をぐるりとまわった後、とある樽の前に立ち止まると、 ひょいと樽の上に飛び上がります。それはちょうど、最終的な候補に残っていた樽の一つでした。 ワイン商は「おぅ、おまえもワインの味がわかるのか?」と猫に語りかけました。 ベネディクト曰く「私と同じで、こいつの仕事場もケラーですからね。 ネズミを捕まえながら、毎日樽から染み出たワインをなめてるんでしょう。」 その様子にようやく決心のついたワイン商は、 「この樽をいただけますか。」と言い、その年の商談が成立しました。
その翌年、アーヘンのワイン商からベネディクトのもとに手紙が届きました。 『今年も昨年と同じ区画のワインを購入したいのだが、 あいにく区画の名前を忘れてしまった。黒猫が乗っていた樽なのだが、おわかりだろうか?』と。 「ああ。カペルチェンだ。」「わかりやすいし、これからは黒猫-シュヴァルツェ・カッツと呼ぶことにしよう。」
ベネディクトのこの言葉から「ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ」が誕生しました。 当初はベネディクト・マインツァー醸造所が所有するカペルチェンと、 数年後にそれに加えて隣接するペタースボーンからの収穫を 『ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ』としてリリースしていたのですが、 ワインが評判を呼ぶにつれ、シュヴァルツェ・カッツの名前を勝手に付ける醸造所が現れ、 ツェルだけでなく、モーゼルの他の村でも黒猫と名乗るワインが作られ、 幾度も裁判沙汰になったそうです。 シュヴァルツェ・カッツは創作名であり、畑名ではないから自由に使用できる、 と1926年に一旦判決が下ったのですが、1929年には逆に特定の区画に対する呼称であるという マインツァー醸造所の主張が認められました。ようは商標と認められたのですね。 ところが、ネームの魅力からか、事態は収拾せず、 シュヴァルツェ・カッツの名を使いたいという村の他の醸造所の不満をおさえる為、 1932年ツェルの村の葡萄畑全体に名乗る権利を認めることが村議会で議決され、 1963年には、さらに村の対岸や山をひとつ隔てた近郊の葡萄畑までも シュヴァルツェ・カッツの名を付けることが認められます。 ついには1971年のワイン法により、ツェラー・シュヴァルツェ・カッツは グロースラーゲ(総合畑)の呼称となり、複数の村に跨る16のアンツェルラーゲ(単一畑) を含む627haの広さを持つ広大な葡萄畑となってしまい、 元来の「最上の区画の樽」の意味は限りなく薄まってしまいました。
猫の額ほどの畑から取れるワインだからこそ選んだ猫も、この様子をどう見ているのでしょうかねぇ? 利権が絡まない猫だからこそ見抜けたワインだったのかもしれません。 オリジナルのカッツと今のカッツでは全く違う味になっている事でしょう。 まあ、カッツは今でも総じて美味しいワインなので、 極上といかないまでも私たちを楽しませてくれているのですが…ね。
http://barcolon.com/
と、某環境フェロモン氏にお伝えください。